W321take2new’s diary

どうでもいいようなことを、思いつくままに。

2月16日、船越隧道と遺構

今週はまだ誰もこのブログにアクセスした人物はいないようだ。動画配信者もアクセスがないと焦って迷惑動画を作るようになるのだろうな?

増税される前に岸田でもヤッてその体をペロペロ舐め回してその動画でも上げてみるか、バズること間違いなしだな?新しいペロペロ動画、増税を阻止しようとしたんだからとゲンコツ3発と岸田の死体洗いで許してくれるかな?笑

でもあんなジジイを舐めまわすのは気持ち悪いな、リバースしちゃったりして。笑

ペロペロ動画がリバース動画になったら、バズらなくなるかな?

今日は風は強めだが、晴れて暖かくなった。

↓ようやく両輪とも咲いた。

↓開花してから8日目だが、途中で開花しない日があったのでまだ開花した、しかし花の形はやや崩れている。

↓開花してから6日目、こちらも花の形は崩れている。

↓綿毛も開いた。

このまま放っておくとタネも飛んで行ってしまうのでこのあと花茎を折ってタネを採る。またまいてみるかどうしようか?

 

──船越隧道(ふなこしずいどう)とその横の遺構。

船越隧道は横浜市から横須賀市に入り、国道16号を行き京急田浦駅前を過ぎて船越町の交差点を過ぎる。京急田浦駅は船越町にある。船越町の南側にあるのが田浦町でJR田浦駅は田浦町の南部にある。船越町と田浦町の間にあるのが船越隧道、反対行きの道が新船越隧道となる。

中央分離帯に『船越隧道』の看板。

↓船越隧道、京急田浦駅からJR田浦駅まで行くならばこのトンネルをくぐる。

↓人が歩いてきた。船越町側のトンネルの左側は景徳寺(けいとくじ)というお寺の墓地。

↓田浦町側に出る。

↓田浦町側の右側に石碑と穴を掘った跡がある。

↓『大正十二年大震災 殃死者群霊寳塔』と彫られている。

在郷軍人会田浦町分会田浦班が立てたもの。関東大震災で田浦町で被災した犠牲者の霊を弔うもの。

殃死者(おうししゃ)とは突然の災難にあって死んだ者のことで横須賀市内にはけっこうこういう石碑がある。田浦町は関東大震災のときは軍港の燃料タンクが爆発したらしいが、それ以外の民家の倒壊やトンネルの崩壊で犠牲になった人々の殃死者のことのようだ。

↓石碑の右側、穴が掘ってあるが、これは明治26年にできた素掘りの旧船越隧道で明治時代には田浦隧道と呼ばれていたらしい。

通り抜けて北側(船越町側)の出口は今はふさがれていて確認することはできないようだ。推測では景徳寺の墓地の辺りに出るのではないかと推測されているがはっきりとはわからない。いろいろと出そうないわくつきのトンネルだが出る噂は聞いたことがない。