W321take2new’s diary

どうでもいいようなことを、思いつくままに。

2月11日

今日は晴れて気温はやや高め。

↓2輪とも開花した。

↓開花したのが3日目のほう。

↓開花したのが2日目のほう。

↓実のほうはまだ綿毛が開かない。

 

──元ヤクルトスワローズ入来智(いりきさとし)が交通事故にあい死去した。55歳。

10日午後9時50分頃、軽自動車を運転中に交差点で出会い頭に普通乗用車と衝突、病院に搬送されたが2時間後に死亡が確認されたらしい。

入来智ヤクルトスワローズに在籍したのは2001年と2002年の2年間のみ。

近鉄―広島―近鉄―巨人と渡り歩き、2000年オフに巨人から戦力外通告、そこを川崎のFAでピッチャーに困っていたヤクルトが拾った。

2001年のヤクルトはラミレスが来日初年度、エースだった川崎がFAで中日に移籍、伊藤智仁がケガとピッチャー不足の全く期待感のない年。だが、何か不思議なシーズンでなんでヤクルトは上位にいるのかさっぱりわからないシーズンだった。しかし、若松監督、高津選手会長、古田キャプテンと今になって考えると後の監督が揃っていたシーズン。

ピッチャーの成績では勝ち頭から・・・

藤井14勝8敗

石井12勝6敗

入来10勝3敗

と二桁勝利が3人もいた。

で、あれよあれよとヤクルトはセ・リーグ優勝して若松監督の名言「ファンの皆さん、あのぉ、おめでとうございます!」が優勝インタビューで出た。

日本シリーズでも近鉄を下し日本一となった。

入来智はこの前年は巨人で登板のチャンスが与えられずに戦力外。

ヤクルトに入団したが、ほとんど期待はされず。通算成績でも負け越していたピッチャーだったのだが、ヤクルトではこのシーズン10勝3敗防御率2・85のキャリアハイの成績を残し優勝に貢献。バッティングでもプロ初安打を放っている。

しかし、期待された翌年は1勝3敗に終わり、日本球界を去って韓国、台湾で2年間を過ごして野球界を去った。

PL学園、巨人で選手、ベイスで用具係とうなぎ釣り係、ソフトバンクオリックスでコーチをしていた入来祐作は弟である。

この弟、ソフトバンクオリックスではコーチとして使い、中畑ベイスではうなぎ釣りに使うあたり、さすがベイスボールって感じである。