W321take2new’s diary

どうでもいいようなことを、思いつくままに。

1月13日

阪神でプレーしたランディ・バース氏と元ヤクルト、巨人、DeNAでプレーし、DeNAで監督を務めたアレックス・ラミレス氏が野球殿堂入りした。バース、ラミレスともにメジャーでプレーしてからNPB入りした人としては初の日本の殿堂入りだそうだ。

ただ、両者ともに終わりがあまりよくない感じだった。

ランディ・バース

たぶんレフトスタンドへのホームランを打ったシーン。

↓甲子園のヤクルト戦でヤクルトのエース尾花から敬遠されるバース。

DeNAの監督時のアレックス・ラミレス

筒香と神社に参拝するラミレス。

↓引退した元審判の杉永政信。現役時代は横浜のドラ1ピッチャーでバースと対戦したことがあり、打ち取ったらしい。

バースを打ち取れるようなヤツを戦力外にして審判部に入らせるようなチームだから横浜は暗黒期を迎えたんじゃないか?

バースは1985年に率350、54本塁打、134打点で三冠王となり日本シリーズで当時最強の西武を破り日本一になり、翌年の86年には率389で2年連続三冠王となった。

あの頃のバースは凄かった。村上の三冠王も凄いが、なんかバースは全打席で何か打ってる気がした。打たれたくなかったら敬遠するしかないような。甲子園でバースが打席に入ると応援歌が流れるのだが、ものすごい音量ではあるのだが、テレビ中継を見ていた限りではオーケストラの伴奏で歌っているような息継ぎの所もピッタリ合って、繰り返し間の息継ぎのとき一瞬静寂になる間合いがあった。それがまるで指揮者がいるオーケストラの演奏のようでああいう応援歌はバース以外でいまだに聞いたことがない。

しかし、バースの最終年は息子の病気の手術で帰国、そこで治療費のことで球団と認識の違いがありそのまま退団となった。今だったらソフトバンクあたりが「治療費も生活費も出すから移籍して来て、なんなら医者も紹介する」と言うだろうけど当時はそうは行かなかった。ただ、バースでも最初は15打席無安打で始まったらしい。

それでもモルツ野球で来日したり、バラエティー番組出演で来日したりと日本を嫌がっている様子でもないのでやりようではまだ数年は阪神でプレーしていたんじゃないかな?

ラミレスはヤクルトに来日、ヤクルト時の契約で5番ライトだったらしいが若松監督はレフトを守って欲しかったらしい。ただ、守備練習でライトにいた稲葉の守備を見てかなわないと思いレフトに行くと言い出したらしい。稲葉じゃなくても彼がかなう外野手が当時ヤクルトにいたのか?開幕すると全然打てない、若松監督は下位を打たせたかったらしいが契約があるので5番で使った。しかし6・7番の古田・岩村が好調でラミレスが打線の切れ目になっていた。かなわないと思ったのか「古田・岩村があんなに出塁するならば自分が7番に入って打点を稼ぐ」と言って7番におさまってうまく行った。ペタジーニが巨人に移籍してラミレスが4番におさまり、問題なしかと思ったらラミレスジュニアという息子を入団させて全く役に立たなかった。さらに巨人に移籍したあたりでヤクルトファンからはあいそをつかされた。

そしてベイスの監督になり、日本シリーズにも下剋上で出場したが、ベイスファンは元々生え抜きに変なこだわりがありなんだかんだとラミレス野球は批判され、石持て追われるように退団、その後はユーチューバーになっている。