W321take2new’s diary

どうでもいいようなことを、思いつくままに。

追浜の官修墓地

追浜隧道を深浦側に出て、道に渡してある橋と隧道の間に『官修墳墓』と彫られた小さな石柱があり、階段がある。

↓追浜隧道と橋の間に石柱がある。

↓『西南役殉国者 官修墳墓』とある。

↓階段。

↓細い道の横にスイセン(右)とヒガンバナ(左)の株。

↓『官修墓地は右へ』を示す看板。

道が分かれているところの崖に貼ってある。ヘアピンカーブして上る道へ行く。他の道に行ってしまうと民家に入ってしまう、こんな所に住んでいる人もいるんだ?

↓官修墓地の説明看板。

西郷隆盛西南戦争をしずめるために派兵された軍の兵隊を帰還させるために和歌山丸と東海丸という船が出て帰路の途中で船内でコレラが流行り、治療のかいなく死亡した身元不明の兵隊を埋葬した墓地。せっかく戦場では生き残って帰れると思って乗った船でコレラにかかり死ぬという何の意味もない死に方、死んでも死にきれないという霊の墓場だな。

靖国神社が好きな政治家のうち、こういう墓地が日本各地にあるのかもしれないが、そういう墓地に参ったことのある人は何人いるだろうか?まぁそういう所に参っても票には繋がらないわけで統一教会創価学会に通って講演していたほうが票には繋がるんだろうね?

だいたい靖国神社には行っても千鳥ヶ淵戦没者墓苑にすら行かないんだろう?

そういうヤツの本音は靖国神社に合祀されているA級戦犯を拝みたいだけなんだろうね?

↓墓地。

↓石碑。顕彰碑というらしい。

↓墓石には『警部補心得 川島吉四郎』の文字が見える。

↓こちらの墓石には『陸軍伍長 万年元也』の文字が見える。

陸軍伍長(ごちょう)というとそんなに高い地位ではないかな。上等兵と軍曹の間の地位だったかな。ここに埋葬された人の中では高いほうの地位の人だったようだ。警部補心得というのはどんな地位だろうか?

伍長が班長みたいになって下に一等兵二等兵、巡査や警部補心得がいたのかな?さらにその上に小隊長の少尉ぐらいのがいたのかな?

↓吉原はる・作の漢詩 想国士。

↓隧道の上が墓地になったようだ。

追浜隧道に兵隊の幽霊が出るって話は聞いたことがないから迷わず成仏したんだろう?