W321take2new’s diary

どうでもいいようなことを、思いつくままに。

川崎大師

川崎大師は、神奈川県川崎市川崎区大師町4の48にある真言宗智山派金剛山金乗院平間寺(しんごんしゅうちさんはこんごうさんきんじょういんへいけんじ)というお寺である。本尊の1つとして弘法大師があるところから『川崎大師』になったのだろう。京急川崎大師駅から入口の大山門まで徒歩5~6分て行ける。途中の道の両側には久寿餅(くずもち、川崎大師ではこう書く)店や咳止め飴店、だるま店などが並んでいる。途中にそば屋があるがなぜかいつも盛況である、何か蕎麦が大師と関係があるのだろうか?それとも食べログか何かで人気があるのかな?

↓大山門。

↓大山門にある仁王像、左右表裏に4体ある。

↓仁王像。

↓仁王像。

↓仁王像。

↓大本堂。

↓大本坊。

建物はほかに、不動堂、経蔵などいくつかある。

↓しょうづかの婆さん。

↓アップ。歯の痛みを治め、美肌によいらしい。

西解脱門の近く、ややはずれのほうにあるので忘れないように。

↓遍路大師像。弘法大師が遍路している姿の像。足下にわらじがあり、そのわらじや大師像の足元に水をかけて拝む。

八角五重塔

まだ釈尊像、祈りと平和の像、薬師殿、聖徳太子堂、清瀧権現堂、百観音などもある。全部見て歩くつもりならばそれなりの時間の余裕を持ち、初詣シーズンはやめておいたほうがいいかも?何ヵ所かトイレもあるが初詣のときは混雑するだろうなぁ?

↓川崎大師に行ったらこれ、横綱北の湖敏満像。

『きたのみずうみ』と書いて『きたのうみ』と読む。元横綱で引退後は一代年寄北の湖親方となり日本相撲協会の理事長を務めた。今、解説者となっている北の富士よりあとに横綱となりその後千代の富士が出た。同じときには横綱輪島、大関貴ノ花がいた。

北の湖は全く人気のない横綱というより国民から嫌われ憎まれた横綱で、彼が負けるのを楽しみに国民は相撲を見ていたのじゃないかな?その嫌われ方といったら半端じゃない白鵬の嫌われ方なんかかわいいもの、鬼畜米英か北の湖かってくらい、もし当時ネットがありSNSがあったら彼は生きていられただろうか?しかし彼の相撲は全くの正攻法で汚い手を使った記憶は全くない、八百長問題は当時幼かったのでわからないが、白鵬のような立ち合いに張り手やエルボーでかち上げるようなことはなかった。また立ち合いのはたきもなかった。当時は皆、手つきをしないで立ったので北の湖は大抵胸を出して立ち合っていたように思う。そして適当に受けているうちに右上手を取ったら終わり、引き付けて寄り切るだけ、たまに相手の下手と投げの打ち合いになるがめったに負けない。たまに負けるときはぶちかまされて素首落としを喰って負けるため土俵にべちゃっとみっともなく這いつくばって負けるわけだが、そこから立ち上がるスピードの速さたるや相手が手を貸すスキも与えないというふうに起き上がり、『しまったぁ』というような後悔をにじませた情けない顔で礼をして下がる。たぶんそのときは座布団が飛び交い、テレビの前でもワールドカップで優勝したくらいの騒ぎで見ていたんだろうからあの北の湖の顔を見ていた人は少ないんじゃないかな?

またバカな相手力士もいて、金城(かねしろ)という平幕が必ず半身のかたちになってぶら下がるように時間だけかけて最後には自分が疲れて半身のまま寄り切られるというね。北の湖を半身からどうやって攻めるんだよってヤツ。

なんであそこまで嫌われたかを考えると、太っていて可愛いげのない顔だったこと、その体型だからか肩をゆすって歩いていたこと、投げで勝っても相手に手を貸さずにいたこと(これは自分が負けたときに手を貸されるのが恥ずかしくイヤだったそうで相手もイヤな気持ちになるだろうと思っていたらしい)、あとは同調圧力があったのかな?

もし彼がプロレスラーだったら何もしなくても一流のヒールになったんじゃないかな?

そんな嫌われもの横綱の像が川崎大師にあるのは、北の湖がこの寺の檀家だったそうだ。なお今でも嫌われているのか、像の前には初詣のときの露店の屋台が用意されていて像がどこに行ったのか探した。

初詣に行って像を見たいならば、不動門から入って右に八角五重塔があるところで向かい側、左側の屋台の裏にある。